別所温泉の歴史

別所温泉の歴史

別所温泉の歴史

なぜ「信州の鎌倉」と呼ばれるのか?

別所温泉は景行天皇の時代、日本武尊の東征の折りに発見されたといわれています。または平安時代(794年-1185年)中期の女流作家、清少納言によって書かれた「枕草子」にある「湯は七久里の湯、有馬の湯、玉造の湯」という一節の中の「七久里の湯」が起源ではないかという説もあります。

「別所」という地名が初めて歴史に登場するのは13世紀であり、その由来は「将軍塚」で有名な平維茂(たいら の これもち)が戸隠の「活鬼紅葉」という鬼女の退治を北向観音に祈願して首尾よく退治に成功したため、この地に「別業」(現代の別荘に相当するもの)を建て、別所と呼んだところから来ているといわれています。

12世紀に入ると別所は木曽義仲(源 義仲)信州を平定するために派遣した軍勢によって火を放たれ、多くの寺院建築が灰になってしまいましたが、大悲殿ならびに安楽寺の八角三重の塔だけは焼失をまぬがれました。その後、焼失した別所の寺院は源頼朝、次いでに塩田北条氏によって再建されることとなりました。そして、この塩田北条氏の下でこの地は多いに栄えました。別所を含む塩田平が「信州の鎌倉」と称されたのはこのためです。

別所温泉略年表

西 暦 年 号 出来事
1574 天正2年 別所大湯に温泉社を創建(神を祀る殿舎・神社)
1593 文禄2年 安楽寺八角三重塔葺替(高山順京代)
1600 慶長5年 関ヶ原の合戦
1603 慶長8年 安楽寺に校割帳残る
1615 元和元年 大阪夏の陣 大阪城落城 真田幸村父子戦死
1617 元和3年 北向山裏観音山に愛宕社を創建 これより愛宕山の名残る
1622 元和8年 上田藩主、真田信之松代へ移封。上田へは小諸より仙石忠正入部
大湯玄斉湯の名があり、お茶屋敷があって領主湯治の旅舎として利用された
1675 延宝3年 石湯の屋根葺替(かや縄等を持ち寄り地元負担であった)
1682 天和2年 別所の熊野社(現別所神社)の社殿が現在地に移転建立
1684 貞享元年 安楽寺八角三重塔、屋根葺替(棟札あり)
1691 元禄4年 塩田組寺社領、安楽寺一貫文、常楽寺一貫文、熊野社一貫文、観音堂五百文
1698 元禄11年

温泉浴場工事の村定書(別所村並びに大湯、玄斉湯、

大師湯御普請の村定の覚十二ヶ条)

1701 元禄14年 玄斉湯を「長命湯」に改称(藩主の命令)しかしいつしか玄斉湯に戻る
1706 宝永3年

上田藩主、仙石政明但馬出石(兵庫県)に移封松平忠周出石より上田へ

宝永指出帳できる(松平氏が上田領全村に命じ一足の形式で作らせた各村の村勢要覧)

一、湯五ヶ所 大湯、大師湯、長命湯、石湯、こが湯旅舎院内四軒大湯十六軒

一、お茶屋(上田藩主の保養所)一軒

一、御用所一軒

1706 宝永3年 安楽寺本堂建立される
1712 正徳2年 別所北向観音堂焼失する
1719 享保4年 大師湯の泉源及び浴場改修工事
1721 享保6年 別所北向観音堂再建される
1730 享保15年 北向観音堂に有賀常近作の「三浦屋店頭図」絵馬が奉納される(国重要美術品)
1742 寛保2年 大洪水により大師湯・薬師堂流出
1747 延享4年 八月大洪水により大師湯浴場家屋すべて流され藩による復旧工事なく村民宿屋困難する
1748 寛延元年 十二月藩に願い出て大師湯の復旧工事費を大湯の商人の運上金で支払われた
1762 宝暦12年 安楽寺大焚鐘鋳造(鋳師 上田 小島久兵衛)
1774 安永3年 芭蕉翁の句碑が北向堂境内に建立される
1783 天明3年 七月 浅間山大爆発 被害甚大
1786 天明6年

安楽寺大門に「不許葷酒入山門」の石碑が野倉村中で寄付される

別所お茶屋敷絵図改められる

1800 寛政12年 安楽寺黒門経蔵建立
1805 文化2年 俳人「斗入」別所倉沢乙堂宅で死去 安楽寺に葬る
1811 文化8年 倉沢乙堂「斗入句集」を刊行する
1814 文化11年 北向観音堂境内に温泉薬師堂再建される(建者湯仲間十二名、
 焼失後五十年かかる)
1828 文政11年 山田村斉藤喜兵衛、北向観音堂に数学図(絵馬)を奉納する
1846 弘化3年

佐久間象山、別所温泉に来浴し安楽寺に遊ぶ

塩田組二十二ヶ村中別所村家数111軒、人口581人

1847 弘化4年 三月二十四日善光寺大地震被害甚大であった。この地震に あい難を逃れた人による有名な絵馬が北向堂にある。
1868 明治元年 明治維新
1871 明治4年

廃藩置県で上田藩は上田県となる。大湯・玄斉湯・大師湯・ 石湯・久我湯等の鉱泉地は国有となる

上田藩が利用していたお茶屋敷が競売される
1889 明治22年

四月一日町村制施行 初代村長に山極吉右衛門氏

旅舎営業者により鉱泉(温泉)営業組合規約を作り温泉の維持管理にあたる。旅舎二十八軒

1891 明治24年

温泉場敷地(官有地となった大湯・玄斉湯・石湯・大師湯・久我湯)の拝借願を、長野県知事に出し許可される。借料年四円四十銭で五ヶ年間とする。

借用人は旅舎営業者、村総代、村長の連名。
1898 明治31年 温泉地敷地の借地更新する。向こう三十ヶ年八円八十銭。借地人別所村
1902 明治35年 別所温泉事務所が開設される。浴場看守人を置き初めて入浴料金が徴収された。(村民二厘、村外者四厘)
1914 大正3年 別所文庫が設置される
1916 大正5年

国有温泉地が別所村に払い下げとなる。(代金5,497円村の年間の予算に近い高額。当時米一石20円。)

温泉使用条例と温泉管理規則ができる。

1918 大正7年 花屋ホテルが「別所温泉株式会社」として村民出資によって観光客相手の旅館として設立。大湯より温泉を分湯(一分間五斗)
1921 大正10年

上田〜別所間に電車が開通。運転開始

1923 大正12年 北原白秋、別所に遊び百数十首詠む(後年内一首の碑が観音堂境内に建つ)
1925 大正14年 村有温泉貸与規定が設けられる
1926 大正15年

大湯の温泉源の大工事が完了。大湯を分湯して大湯の旅館に内湯が入る。

温泉の入札が行われる。石湯二〇七〇円、大師湯一一七五円、 大湯一八五九円、玄斉湯三〇五円

別所青年会が月刊新聞「別所時報」を創刊する

1928 昭和3年

長唄「風流七久里の里」(作詞/高倉輝、作曲/梓屋佐吉) 「別所小唄」(村民の作詞、高倉輝選)が発表される。

営業組合(別所観光協会)が発足

1929 昭和4年 久我湯を廃止して院内の旅館に分湯 別所の旅館全て「内湯旅館」に
1930 昭和5年 前年暗殺された山本宣治の碑が農民組合によって建てられる(後年撤去されたがその後安楽寺境内に再建された)
1937 昭和12年 共同浴場の入浴料が四厘から五厘に値上げ
1941 昭和16年 別所村では温泉の増量と低温の解決のため加藤博士を招き地質調査する
1945 昭和20年 大東亜戦争終わる(無条件降伏)
1951 昭和26年

地質学者花井・村井の両氏を東京大学より招き調査を依頼

結果は悲観的で掘削に至らず

1952 昭和27年 安楽寺八角三重塔、国宝に指定される。
1953 昭和28年 安楽寺八角三重塔葺替(国費三六万円・県費一八万円)
1955 昭和30年

1.日本温泉開発研究会、安斉徹氏に調査を依頼して第1号および第2号井戸の掘削に別所村初の温泉ボーリングに踏み切る。上星本宅石垣下に決めて掘削開始。

深さ200m、湯量五斗五升(毎分)温度四二度で第一号井戸終わる

2.大湯斉藤信三氏宅地を第二号井戸と決めて掘削開始。深さ150m、温度四五度の大量の温泉が噴出したが既設の泉源に影響が現れる。

1956 昭和31年 市町村合併に伴い5月1日、別所温泉財産区設立
1957 昭和32年

温泉の引湯工事完了。盛大な温泉祭りが行われる。

塩田町発足(別所村・中塩田町・東塩田町・塩田町西の四ヶ村が合併)別所村七〇年の歴史が閉じる。

大師湯改築工事が行われる。

1959 昭和34年 4月16日、北向観音堂下に大型遊園地が開園。電鉄、塩田町、別所温泉の三者共同出資。総工費600万円。
1960 昭和35年 大湯浴場改築工事行われる
1967 昭和42年 北向観音堂下湯川河川きわに第三号井戸をボーリング。深さ63m、湯量372リットル(毎分)温度49度 掘削大成功
1970 昭和45年 上田市と塩田町合併
1974 昭和49年 北向観音堂下第三号井戸より南50m土手に第四号井戸をボーリング。深さ350m、 湯量1,000リットル(毎分)温度53度
1975 昭和50年 上田紬が通産省の伝統工芸品に指定される
1976 昭和51年 男はつらいよ「寅次郎純情詩集」ロケ
1982 昭和57年 別所森林公園完成
1984 昭和59年

大師湯改築

別所公園完成

こども会館完成

1985 昭和60年 別所公園に多目的広場、自由広場、テニスコート完成
1986 昭和61年 「彼のオートバイ、彼女の島」ロケ
1990 平成2年

別所小学校百周年記念

大湯改築

1991 平成3年

十二階林道開通

別所温泉地域振興会スタート

1994 平成6年 相染閣にて第1回敬老会
1996 平成8年

別所小学校閉校(106年の歴史に幕)

別所温泉浄化センター完成

1997 平成9年

第1回オカミサミット開催

石湯改築

「卓球温泉」ロケ

1998 平成10年

長野オリンピック(第18回オリンピック冬季競技大会=2月7日〜2月22日)が開催され、閉会式に別所温泉の岳の幟も参加

1999 平成11年

観光協会業務窓口を別所温泉駅に移転

安楽寺八角三重塔で防災設備のテスト

2000 平成12年 最後の区民運動会
2001 平成13年

ふたば保育園閉園

温泉センター前に旧別所村役場の記念碑建立

2002 平成14年 安楽寺蓮池前斜面頂上に900本のツツジ植樹
2003 平成15年

常楽寺本堂280年ぶりの改築

別所神社改修工事完了

2004 平成16年

岳の幟500周年記念祭

足湯ななくり完成

幕宮池の遊歩道完成

2006 平成18年 半田孝淳天台座主誕生
2007 平成19年

裸の大将〜放浪の虫が動き出したので〜ロケ

三島神社風穴、工事完了

2008 平成20年 あいそめの湯完成
2009 平成21年

魅力創生協議会が本格始動

半田孝淳天台座主、上田名誉市民になる

第1回観光写真コンテスト開催

2010 平成22年

常楽寺美術館40周年記念国宝展開催

第1回つるし飾りサミット開催

第1回別所温泉川柳コンテスト開催

北向観音下駐車場入り口に、あずまや完成

2011 平成23年

展望台完成

東日本大震災(3月11日)

あいそめの湯の管理が上田市から別所温泉観光協会へ

常楽寺晋山式

安楽寺の国宝八角三重塔の屋根葺き替え

2012 平成24年 大湯地区に足湯完成
2013 平成25年

第1回塩田平ため池フェスティバル開催

慈覚大師円仁開山1200年記念法要(北向観音、常楽寺)

2014 平成26年

北向山節分会100周年記念

平成26年豪雪(=2月14日〜16日に発達した低気圧による記録的な大雪。上田中央消防署屋上(定点観測地点)の積雪量は76cmと過去最高になった。)

2015 平成27年

12月14日第二百五十六世天台座主半田孝淳猊下ご遷化

2016 平成28年

NHK大河ドラマ「真田丸」が放映開始

上田城跡公園内に信州上田真田丸大河ドラマ館が開館

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