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●寺の歴史
 八角三重塔で知られる安楽寺は天長年間(824〜834年)に開かれたと伝えられる大変古い寺です。
 この寺の名が書物に出てくるのは、鎌倉時代のはじめのころからです。鎌倉の建長寺の開山(初代の住職)として有名な蘭渓道隆(中国人で執権北条時頼が招いて建長寺の開山とした名僧)が、安楽寺の和尚に宛てた手紙や、その他の史料から、この寺は鎌倉の建長寺と深い関係をもっていたことがわかります。鎌倉の建長寺は、1253年(建長五年)わが国で初めての禅の専門道場として開かれた寺ですが、この寺を開いた道隆は「建長寺は鎌倉で、安楽寺は塩田で、それぞれ100人、50人の僧が修業し、仏教の中心となっている」という意味のことを記しています(大覚禅師語録)。これによって、このころ安楽寺はおそらく信州では鎌倉の建長寺と同じような位置を与えられていた格式の高いお寺だったと創造されます。もちろん禅寺としては、信州では最も古い寺です。

安楽寺八角三重塔
●寺と塔

 塔はお釈迦さんのお墓です。お墓だからお骨を納めてあります。お骨は舎利といわれ、それがもともと信仰の中心になったのです。だから仏教が日本へ伝えられたころの古い寺は、たとえば飛鳥寺とか四天王寺など、みな正面には塔があります。(飛烏寺はのこっていないが、発掘の結果は、そうなっていた。)
 ところがだんだん時代がたつにつれて、塔が正面ではなくなります。たとえば法隆寺は正面に塔と金堂が並んでいます。そして次第に金堂(本堂)が中心の位置になり、塔は金堂に対して、両側におかれたり(薬師寺)一方の側に一つだけおかれたり(各地の国分寺など)しまいには金堂のかこいの外にその位置がきめられ、完全に金堂と切りはなされたところに置かれていきます。だからはじめの塔は信仰の中心であったのですが、次第に信仰の中心ではなくなり、わき役となったことがわかります。
  この安楽寺の塔も鎌倉時代のものですから、本堂と、かなりはなれた山腹に建てられています。本堂の左側を奥へ進むと、見上げるようなところに八角塔のすばらしい姿を見ることができます。昼なお暗い檜・杉の木立の中を、この塔を仰ぎ見ながら上っていくとき、わたくしたちは、自然に、おごそかでけだかいものを感じます。そういう意味では、やはり信仰の対象となっていると考えてもよいでしょう。同じようなことが大法寺の塔にも、前山寺の塔にもいえます。塔というものは、もともと拝むもので、ただ見物するものではないことを知っておく必要があります。塔に落書きをするなどとんでもないことです。


●安楽寺八角三重塔(国宝)
 長野県には国宝の国宝をうけている建物は5つあります、そのうち第一に指定されたのがこの塔です。「国宝」というのは"世界的な立場から見て"、"国民の宝とすべきもの"となっていますので、この塔は「我が国が世界に誇ることが出来る大切な文化財である」ということになります。ではどこにそんな価値があるのでしょう。
 まず全体の姿を見ましょう。ふつうの塔は四角形のものですが、この塔は八角形であることが重要です。八角形の塔は全国にこの塔一つだけしかありません。この塔は一番下に裳階(ひさし)がついています。一見、四重塔にみえますが、正確には「裳階付三重塔」というのが正しいのです。
 それから縁やてすりがなく、柱は直接地面から立っていて、まわりは板壁です。屋根を支える垂木が扇の骨のように放射状に外側に出ています。そのほかいろいろの点からこの塔は、ふつうの塔とかなりちがった建て方になっていることに気づかれる人も多いと思います。
 こういう建築のやり方を「禅宗様」といいます。鎌倉時代に禅宗という仏教の宗派が入って来てから、はじまった方式なのでその名がついたのです。そしてこの塔は、どんな細かなところまでも、すなおに「禅宗様」というやり方でつく窪田空穂の碑(老の眼に観る日のありぬ別所なる唐風八角三重塔ってあるので、 "純粋の禅宗様式建築"というわけで、これがまた日本では大変に大切な建物とされている理由です。
  八角という塔は古代には日本にもあったという記録は残っていますが、いずれも現在はありません。ところが中国の塔というのは大体八角が普通です。
 禅宗の安楽寺の二代目の住職の幼牛恵仁さんは中国生まれの人といわれています。この安楽寺八角塔は寺の歴史や、塔のつくり方から二世恵仁さんのころ(鎌倉時代末ごろ)建てられたと学者は考えていますが、そうすれば二世恵仁さんが故国の塔を思い出して、建てたのがこの八角塔と考えても不自然ではありません。
 安楽寺塔の流れるような曲線をえがく四層の屋根、その屋根を支える華やかな木組み、堂々とそびえる風格はさすがに日本の名塔といえます。
 鎌倉時時末ごろ塩田平に居館を構えて、信濃に威を張っていた、北条氏の力によって造られたものと考えてさしつかえないでしょう。

八角三重塔内部
●八角塔内部

 内部の中央は八本の柱で囲まれた一段高い「内陣」となっています。そのまん中に仏壇がおかれ、大日如来が坐っておられます。(禅宗の本尊は釈迦如来だが、ここになぜ大日如来が居られるのか、まだわかっていない。)
  この「内陣」をとりまくようにして「外陣」があります。巾1.8mくらいの土問になっていて、中心の仏様をまわりながら拝むことができます。

●開山・二世頂相(国指定重要文化財)
 安楽寺の本堂のうしろに「伝芳堂」(開山堂ともいう)というお堂があります。この中に二人の和尚さんの像がならんで坐っておられます。
  右はこの寺の開山(初代の住職)樵谷惟仙。左は寺の二世幼牛恵仁。いずれもこの寺にとって最も大切な和尚さんです。禅宗の僧の画像か彫刻像のことを、我が国では「項相」といいます。禅宗では修業するお弟子さんは、自分の師(先生)の心に接することを最も大切にするといわれ、師と弟子との関係は大変親密であるとされています。項相というものは、師僧がその弟子が修業を終えて、自分の手許を離れるとき与えたものが多いのです。ですから弟子たちはその項相によってはげまされて勉強していきました。この二つの像は袈裟(着物の上ににかけるもの)をか二世・幼牛恵仁坐像開山・樵谷惟仙坐像け、「如意」や「法子」というものを持ち「曲碌」(いす)にすわっています。この安楽寺の項相の、生きているような顔や姿の彫刻は鎌倉時代の特徴をよくあらわしていて、わが国の名彫刻の一つといわれ、いま国の重要文化財に指定されています。両像の背中の内側に墨書があります。惟仙和尚の像は、嘉暦4年2329年)7月、恵仁和尚は同じ年の九月に作られたものであると書かれています。項相彫刻としては早い時期のものです。
 またこの嘉暦4年という年は鎌倉幕府滅亡より4年前で、おそらく安楽寺が塩田北条氏によって保護されていた頃と思われますから、八角三重塔も、恵仁和尚の時代に同時に作られたものと考えられているののです。
安楽寺経蔵●安楽寺経蔵と八角輪蔵(上田市指定文化財)
 この経蔵は1794年(寛政6年)建築の宝形屋根土蔵造りです。
黄檗版一切経を納めてあります。江戸時代に中国の僧隠元によって開かれた禅宗の一派を黄檗宗といいますが、一切経というのは、その宗派の鉄眼という高僧が10年の歳月をかけて、中国本を翻訳した有名なお経の本です。
 またこの経本は朱のりの八角形の輪蔵(廻転式に作られた、お経を読むため便利な蔵)に納められています。経本は1800年(寛政12年)に京都宇治の黄檗山万福寺より買入れたものだそうです。