|
|
|
●寺の歴史常楽寺は、別所温泉にある天台宗の古いお寺で、常楽・安楽・長楽という「別所三楽寺」の一つです。平安時代のはじめ624〜834(天長年間)、慈覚大師という方によって開かれ、その後塩田北条氏や海野氏が建て直したといわれています。有名な別所北向観音をお守りする寺で、今は天台宗の別格本山となっています。鎌倉時代に塩田地方は「信州の学海」と呼ばれていたのですが、この常楽寺もその頃、宗教・学問を勉強する場所であったようです。 安楽寺の開山樵谷惟仙も16才まで、この常楽寺で仏教の教えを学んだという記録があります。また1292年(正応五年)には神奈川県の称名寺の坊さんが、「十不二門文心解」というお経を常楽寺で写したということが文書に残されています。 ●観音出現の霊場 別所温泉の相染閣前に立って右手をみると、常楽寺に向かう道がまっすぐにのびています。 地図の上で、この道をさらに延ばすと石造多宝塔につき当たります。今は石段が、この線より右にあってそれを上ると本堂の正面に当たりますが、昔は多分この道がまっすぐに多宝塔に向かっていたのだろうと思われます。 天台宗とか真言宗などの古い宗派のお寺には、たいてい参道のつき当たりに塔や堂がありますが、常楽寺でもこの多宝塔が信仰の中心でした。ここは昔、大きな火柱といっしょに観音様の本尊が現われた尊い場所だといい伝えられています。代々の寺の住職さんたちの石塔や、たくさんの小さな五輪塔・宝篋印塔などがこの石造多宝塔を守っているように並んでいますが、この付近一帯からはたくさんの五輪塔などが掘り出されていて、昔はこのあたり全体が、とても大切な尊い場所であったことを物語っています。 |
|
●常楽寺宿造多宝塔(国指定重要文化財)多宝塔というのは、上下二重の屋根がある塔です。下の屋根の上に饅頭形という丸いふくらみがあって、その上にまるい塔身があり、二つの屋根がその上にのっています。 なお、その上に相輪という柱のようなものが立っています。この多宝塔には木造のものと石造のものがあって、木造のものでは重要文化財になっているものがいくつもあります。しかし、石造で重要文化財のものは、常楽寺のこの塔の外には滋賀県にある塔だけです。けれども、この塔の方が正しい形を伝えているので、全国でも最も大切な多宝塔です。高さは281pあります。昼でも暗いような木立ちの中に立つ、堂々とした姿はいかにも信仰の中心にふさわしいものです。 |
|
別格本山北向観音本坊常楽寺 住職 半田孝淳 半田孝淳大僧正は、平成十九年二月一日、 天台宗総本山延暦寺(滋賀県大津市比叡山) の天台宗最高位 256代目座主へ任命されました。 |
|
|
|
|
●板絵着色三浦屋の図(国指定重要美術品)吉原の三浦屋の店先を描いた浮世絵で、高さ116p横巾170pの大作です。画工有賀常近の落款(絵師が自分の名や印をおすこと)があります。1730年(享保15年)八月海野町(上田市)の商人18名が、北向観音堂に祈願成就のお礼に奉納したものです。作者は烏居清信の画風に近い画家で、構図もすばらしく風俗絵馬の代表作です。 ●板絵 劉備檀渓渡河の図(上田市指定文化財) 北向観音に奉納されたもので文政六年とあります。昭和46年になってはじめて「葛飾北斎」という有名な人の絵とわかりました。 ![]() この絵は、中国の有名な物語「三国史」の中に出てくる劉備玄徳が愛馬にまたがり檀渓の急流を渡り、危険を脱れようとするところの絵で、勇ましい場面がかかれています。 ●徳川家康 日課念仏(国指定重要美術品) 徳川家康が71才の時に、日課として書いたもので、たて26p、よこ140 pの紙に墨で書いてあります。「南無阿弥陀仏」という六字が六だん、110行に書かれていますが、その中に「南無阿弥家康」と書いてあるところが六カ所あります。「慶長17年6月7日家康」とあって、家康自筆のものといわれています。これとおなじものは全国に数点ありますが、その中でも一番長いもののようです。 |
|
●聖観音立像通称「乙女観音」といわれています。楠材に似た中国材を用い、一木造り、内くりのない丸彫りの像です。中国から渡来したもので、製作は中国元代末か明代初期(1271〜1662年)のものとされています。学者によっては宋の時代のものともいわれています。 ![]() ![]() |
|