別所温泉の旬の食材

別所温泉の旬の食材

別所温泉源泉の歴史(信州最古の温泉)2

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西 紀(年) 年 次(年) 内      容 備 考
1881 明治1

年間宿泊、入浴客―22,200人(5湯、28旅館)

 
1889 明治22

初の町村制度により 明治の大合併で18地区が5か村となる。

別所村は旅舎業者による鉱泉組合をつくり温泉の 維持管理にあたる。(営業組合規約成立-28旅舎)

別所初代村長―山極吉右衛門

別所村、中塩田村 、西塩田村、東塩田村、富士山村

1891 明治24

官有地となった共同浴場5か所の拝借願を村長名で長野県知事に出し許可される。

借用料4円40銭―5年契約。払い下げをお願いする。

東塩田村と富士山村が合併
1898 明治31 共同浴場借用料、8円80銭  
1902 明治35

別所温泉事務所開設、浴場管理人を置き入浴料を徴収する。村民2厘、村外4厘。

 
1916 大正5

国有となった共同浴場やっと払い下げとなる。

代金―5,497円、村の年間予算に匹敵、村議会紛糾温泉と別所村民の生計が不可分となっており「一朝他人ノ手二帰スルコト」あれば「公共利益ヲ害スルコト甚大ナリ」-全村民意識 。

入浴料、村民5厘、村外1銭(4:00~24:00)

(参考、西塩田小学校―12,000円)

村一丸の要望が受け入れられた。

旅舎、村民の寄付により支払う。

使用条例、温泉管理規定制定。

1918 大正7

花屋ホテルが、村民出資により別所温泉(株)―観光旅館として設立。

大湯より1分間90ℓ分湯、135円/年間―20年間。

貸与料の始まりである。
当地で最初の株式会社となる(資本金4万円)
1920 大正9 入浴料値上げ、村民―1銭、村外―2銭。 温泉収入が別所村総収入に大きく貢献
1921 大正10 上田ー別所間に電車開通。 348戸、1,485人
1925 大正14 温泉貸与規定が設けられる。  
1926 大正15

大湯源泉、浴場工事、源泉を大湯旅館に分湯、各旅館も増改築し内湯とする。

共同浴場の入札が行われる。

貸与料、1.8ℓ/1分―40円/年間、花屋735円/年間。

温泉使用条例及び貸与規定改正 総工事費―7,805円

1927 昭和2

入札

石湯―1,925円、大師湯―1,256円、大湯―2,135円、久我湯―785円、玄斉湯―325円。

 
1928 昭和3 タカクラ・テル「風流七久里の郷」を作詩  
1929 昭和4

共同浴場久我湯を廃止、その湯を院内各旅館に分湯。

別所温泉旅館全てが内湯となる。

貸与料、1.8ℓ/年間―57円となる

 
1932 昭和7

大湯火災、玄斉湯、つるや旅館類焼。

入浴料、村民ー5回で2銭、村外―2銭。
 
1933 昭和8

別所温泉協会創立。

街灯がつく。

参考

別所ー上田間往復電車賃70銭

1934 昭和9 ラジウム含量測定。 県試験所
1935 昭和10   374戸、1,691人
1937 昭和12

共同浴場入浴料等、村収入に大きく貢献。

入札

石湯―1,185円、大師湯―635円、大湯―1,150円。

温泉客、(宿泊、日帰含)

15万人(外人-30人)
1938 昭和13

別所村有温泉貸与規定、議決。

花屋貸与料735円→2,036円に値上げ訴訟となる。

大正15年の取り決めが守られていなかった

1939 昭和14 2年にわたる訴訟問題が和解決着した。 村の主張通りとなった
1941 昭和16

温泉の増量と低温解決のため地質調査実施。

温泉分析―厚生省東京衛生試験所。
加藤博士による
1942 昭和17

入浴料改定、村内―1銭据え置き。

村外―3銭。

 
1943 昭和18 入湯税新設、1人1泊―5銭。  
1944 昭和19 杉並生徒1,643名疎開受け入れ、月60銭。

全館提供旅館は貸与料免除

1947 昭和22 入浴料、村内―10銭、村外―30銭。 501戸、2,371人
1948 昭和23 入浴料、村内―30銭、村外―1円50銭。  
1949 昭和24 入浴料、村内―50銭、村外―2円。  
1950 昭和25

入札

石湯―150,000円、大師湯―43,500円、大湯―244,500円。

483戸、2,268人
1951 昭和26

再度地質学者による地質調査を行う。

結果は悲観的、掘削にはいたらなかった。

大湯線湯尻(道祖神前)改修工事完了。

東大、花井氏、村井氏による
1952 昭和27

入浴料

村内、大人―1円、子供―50銭(6~12歳)

村外、大人―4円、子供―2円

 
1953 昭和28

入浴料

村内、大人子供共―1円

村外、大人―5円、子供―3円
 
1954 昭和29

下諏訪町財産区、本郷村掘削視察。

温泉掘削工事議決。

財産区議員、協会役員
日本温泉開発研究会

安斉徹博士に調査依頼
1955 昭和30

別所温泉ボーリング1号井掘削(院内―倉沢宅) 220m、41度C、67ℓ/分

別所温泉ボーリング2号井掘削(大湯―斉藤宅)148m、45.7度C、360ℓ/分
既設泉源に影響が出る(自然湧出減少、停止)

入札価額

石湯―466,000円、大師湯―150,000円、大湯―500,550円

村予算、村民寄付
費用320万余

1956 昭和31

別所温泉内引湯工事完了―温泉祭を行う。

4村合併に伴い、別所村―温泉財産は別所村の物という条件で合併。

別所温泉財産区を設立(財産区管理者に町長がなる)。

別所温泉財産区財産管理規定、区有温泉貸与規定。

及び常設温泉委員設置規定議決。

別所村役場―塩田町承継、支所となる。

貸与料(毎分1ℓにつき)

2,3号線―5,500円

大湯泉―4,750円(花屋)

1号泉―2,150円

入札

石 湯―391,000(68,000)円

大師湯―120,000(21,000)円

大 湯―436,000(97,000)円

( )内は別所村分―4,5月分

入浴料

大人-5円、子供-3円(12歳以下小学生)

財産区設立とともに温泉関係の支出は財産区となる―特別会計

又、財産区は特別地方公共団体となる

1957 昭和32

大師湯改築 (建物解体につき競売に出す)
入札価額

石湯―439,000円

大師湯―154,500円

大湯―526,000円
大師湯はー7/13~3/31
1960 昭和35

大湯改装工事

支所(旧別所村役場)廃止となる。

 
1966 昭和41

別所温泉ボーリング3号井掘削(観音下) 180m、52℃,340ℓ/分 。

支所(旧別所村役場)―財産区が買い取る。

院内温泉薬師堂改修。
 
1968 昭和43 大湯薬師堂、横関豊劉の「筆塚」建立。  
1969 昭和44

貸与料

大湯泉―4,750円

1号泉―2,150円

2,3号泉―5,500円
 
1970 昭和45

上田市と塩田町合併、財産区管理者ー市長となる

入浴料、区民―7円、区外―15円となる
塩田町大字別所→上田市別所となる
1971 昭和46

自治会山林財産調査、整備(塩水、氷沢、後沢、北谷、西大湯、幕宮)-約30,000坪。

入浴料

区民―10円

貸与料

大湯泉―7,648円

1号泉―3,462円

2,3号線―8,855円

石湯改築計画―底上げー地元反対―改築中止。

山林整備―温泉に関連補助―150万円/年

(財産区→自治会)
1972 昭和47

相染閣建設(健康福祉施設)、夜間共同浴場として財産区が管理、60ℓを配湯。

大湯改築(約1,100万円)
借受料―41,158円/月
1973 昭和48

入浴料15円、洗髪料―5円。

貸与料

大湯泉―9,942円

1号泉―4,500円

2,3号線―11,512円
 
1974 昭和49

中央温泉研究所掘削調査指導依頼(益子薬学博士、 佐藤地質学博士) 。

入浴料、20円、洗髪料10円(女性)

貸与料

大湯泉―13,222円

1号泉―5,984円

2,3号線―15,310円

入湯税―100円/1人

冬、渇水期出湯量減少。

現状のままでは熱量不足となる予備源泉確保必要。
1976 昭和51

物理探査、補則地質調査等を経て掘削決意。

ボーリング4号井掘削(観音下)350m、52.5℃、1300ℓ/分

過去の反省を踏まえ自噴力の900~950に制限 。

「絶対汲みあげない」益子博士指導。

既存井自噴停止。

貸与料

大湯泉―13,000円

1号泉―休止

2号泉―15,000円

3,4号泉―17.000円

工事費用約2500万円。

湧出温泉大湯井、1,2号源泉を除き湧出停止。

1977 昭和52

玄斉湯を山極さん(つるや)に、こが湯を大槻さんに払い下げる。

3号井、ボアホールポンプ動力汲み上げ許可受ける。(県知事より)

貸与料

4号泉―18,000円、他は変わらず。

 
1978 昭和53 洗い場有料化―10,000円/年間(5ℓ/分)  
1979 昭和54

石湯、浴場改装(予算―320万円)。

真田幸村公隠しの湯石碑建立。

1,2号泉自噴湧出停止。

入浴料、20円(銭湯150円)。

貸与料

3,4号泉―20,400円。他は変わらず 。

新規配湯加入金設定、50万円/年間・1ℓにつき。

 
1980 昭和55

1,2号井枯渇のため廃止。

貸与料

3,4号泉―20,400円。他は変わらず 。

 
1981 昭和56

相染閣、浴場改修。

大湯「葵の湯」碑を建立。

 
1982 昭和57 入浴料、30円、洗髪料10円(女性)。  
1983 昭和58

公民館老朽化につき建て替えの研究会発足(自治会、財産区)市との調整結果、県の活性化制度資金の活用ができることが判明、その後観光協会、旅館組合 水利組合を加え建て替えを決定(温泉センター)。

建設は県の補助金、地元寄付金、により上田市が建設する。

建設予算―9,000万円(県-半額)

温泉センターと合わせ幕宮テニスコートも建設
1984 昭和59

大師湯、浴場改築。

貸与料

大湯泉―14,300円

2号井休止

3,4号泉―24,200円
 
1986 昭和61

温泉センター完成 。

自治会-40万円、旅館組合-50万円支出で管理を行う。

委託管理は自治会とする。

財産区は土地所有権者として無償使用とする。

1987 昭和62 大湯薬師堂に「大湯を詠んだ与謝野晶子大町桂月」等の歌碑建立。  
1988 昭和63

入浴料、50円、洗髪料10円(男女)

貸与料

3,4号泉―27,500円

大湯変わらず

区民は回数券
1989 平成1

大湯建設研究委員会設立(11人)検討に入る。

貸与料

大湯泉―14,700円

3,4号泉―28,300円

大湯薬師堂に「北原白秋高野辰之」の歌碑建立

 
1991 平成3

大湯、浴場改築。

(株)エイト、上田市野倉で温泉掘削。
 
1993 平成5

中央研究所、別所及び周辺調査。 独鈷の湯調査、単純硫黄泉、深度50m、泉温20℃。

浅い掘削で別所温泉への影響は無いと判断。

野倉の湯掘削計画調査、別所断層の南西に位置するので別所温泉には影響ないと判断。

温泉は地下水が一番問題である。したがって周辺の地下水を下げる行為、つまり周辺の市街地化、河川の改修(コンクリート化)、側溝の底打ち、後背地の森林伐採・放置等は充分注意しなければならない(上記内容、市に要請)。 トリチウム分析を行って現在の温泉が何十年前の雨水か知って前述の対策をする必要がある。

3,4号泉とも安定していない。適正な採取量に戻すことを検討する必要がある。

また、深夜お客がいない時に同じ給湯をしているのは奇異なことである。各旅館の貯湯槽の設置、浴槽内の温度、水位などによって給湯量が調整されれば量が抑制される。

集中管理の検討もどうか、と指導される。
1994 平成6

入浴料、100円、洗髪料―変わらず。

貸与料

3,4号泉―33,960円

大湯泉―補償へ

大湯薬師堂に「タカクラ・テル―風流七苦離の里」 の歌碑建立 。

(有)コイケコウリン、上田市前山で温泉掘削。47.7℃、153ℓ/分出湯。

区民は回数券
1995 平成7 コイケコウリン動力汲み上げ申請  
1996 平成8

オカミ・サミット開催、テーマ「水と森を考える」。

馬場―水資源開発公団副総裁、筒井―東大名誉教授の記念講演ありー水源を守る森林とオカミ等。
 
1998 平成10 石湯、浴場改築。  
1999 平成11

トリチウム分析(三重水素、半減期、約12年)を行う(水を構成する原子で一定時間が経過すると放射線が低下する、濃度が低いほど古い水である)。

共同浴場整備事業としてJAより土地を購入。

チロル亭に温泉給湯5ℓ/分。

4号泉,大湯泉は濃度が低い(10年以上?)

足湯前の駐車場(165㎡)

2000 平成12

入浴料、150円、洗髪料0円。

貸与料

3,4号泉―35,660円。

清掃委託契約実施(3浴場)。

区内は回数券
2001 平成13

財産区新聞「オカミ」発行(予算―68,400円)。

3浴場に祈念スタンプ設置。

センター前に「旧役場跡」の記念碑建立。
 
2002 平成14 源泉調査―3号線枯渇化傾向ありー抑揚制限行う。  
2004 平成16

足湯「ななくり」に5ℓ配湯。

50,000円/年間。
 
2006 平成18

相染閣休日―財産区借り受ける(9:00~22:00)。

自家発電機入れ替える(ヤンマー、75.1KW)。

「あいそめの湯」石碑設置

2007 平成19

新潟県中越地震による別所温泉への影響について調査、中央研究所(東京)。

影響あり
2008 平成20

旧あいそめの湯(財産区)3月30日で撤退。
新あいそめの湯5月2日より上田市管理で開館営業に入る。

可燃性天然ガス測定 3,4、大湯泉共―0%

財産区より80ℓ/分配湯

2009 平成21 大湯に牛乳自動販売機導入。  
2011 平成23

観光協会―あいそめの湯指定管理者となる。

上田藩主湯屋解体撤去。

柏屋別荘足湯を設置。

東日本大震災(3/11)―別所温泉源影響あり。

地震の影響?

野沢、御岳源泉倍増。

茅野、河童の湯半減。

山形、柳川温泉枯渇。

掘削予6,000万円福島、いわき市、多量の温泉噴出。

茨城、袋田温泉、関所の湯、透明→乳白色。

箱根、千尺の湯、倒産。

日光、判久ホテル倒産。

和倉、銀水閣、事業停止。

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